「天満切子」最後の職人

切子工房RAUの宇良武一氏は、「天満切子」最後の職人といわれている。北区天満はガラスと縁が深く、江戸時代、長崎の商人の指導のもと、大阪天満宮近くでガラスを作っていた。大阪天満宮の正面脇に「ガラス発祥の地」の碑があり、今はガラスとは無縁のようだが、ちょっと昔の昭和30年代は、天満の与力町・同心町界隈は、ガラス工場や技術力の高いガラス加工職人の街だったようだ。
昭和50年代、同地に本社のあった当時日本最大のガラス食器問屋「カメイガラス株式会社」の故・亀井節冶社長が、途絶えていた薩摩切子を忠実に復刻させ商品化を実現した。しかし、残念ながらカメイガラスは平成10年に倒産してしまった。
その後、宇良武一氏は、切子職人として薩摩切子の復刻に関わった経歴を踏まえ、天満切子の作家活動や教室を行い、後継者も育て、大量生産できない天満切子の販売も行っている。
天満切子は、薩摩切子の技法をベースに絵柄や文字を配したオーダーメイドカッティンググラス。宇良武一氏は、ガラス発祥の地であり、日本のガラス工芸に大きな影響を与えた「天満」をもっとアピールする意味で、誇りを持って「天満切子」と呼んでいる。宇良氏のオリジナルブランドである。
宇良氏曰く、「天満切子は、飾って眺めで楽しむだけでなく、用いて楽しむこと」。その言葉どおりお酒を注ぐと更に宝石のような輝きを放つ。「用の美」と「鑑賞の美」のふたつの楽しみ方で、たくさんの人を魅了している。(北・都島・福島支部)
(※ニューズレター253号(発行:大阪商工会議所)より抜粋)

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天満切子株式会社事業所概要詳細
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大阪府大阪市北区

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